住友セメント多賀専用線跡

今から約20年前頃までは、近江鉄道は貨物輸送が華やかで沿線工場の多くに近江鉄道からの専用線がありました。<BR>
今回の住友セメント彦根線もその一つで、昭和35年から昭和61年3月27日まで住友セメント多賀工場−住友セメント彦根工場間の<BR>
セメント原石輸送専用線として扱われました。

#最終調査日2003/8/16


今回はここから調査開始です。
画面を左右に横切る高架建造物は名神高速道路。その名神高速道路をくぐりますと、多賀駅です。
この写真を見る限り、既にヤードや貨物線は残存してはいませんが、異常に広い交差開口部と
一番左端の細い道路から始まり、遊休地、広域農道、近江鉄道多賀線と続く特異な状態です。
この農道がヤードと廃線跡を利用しており、しばらくは何も無い状況が続きます。


名神をくぐり少し行きますと、本来の道路(上の写真では一番左端)が合流する付近で、多賀駅(写真右)から大きく北に外れます。
これは、多賀線をそのまま延長していくと、多賀大社にぶつかってしまうための処置です。
余談ですが、平田駅と同様にここにも駅前に農業倉庫(写真左)がありますね。


専用線はゆるいSカーブで多賀大社裏(写真左。高宮方を向いてます)を抜け、
ゆるいカーブで住友セメントに向かっていきます。(写真右。住友セメントの方を向いています)
地理的には、多賀駅からそのまま多賀大社を突き抜けた延長上に住友セメントがあるため、このような迂回処置がとられていた模様。


国道306号線を越え、琵琶湖中核工業団地に向かう道路が廃線跡とほぼ重なるはずですが、道路北側に怪しい遊休地が残っていました。
この後、専用線は多賀中学校の裏手(地図によっては、この道路が不自然に曲がっています)を抜けていきますが、
なにぶん学校敷地である事やほかは造成や山林(自然帰化)と化して発見する事は出来ませんでした。


工業団地への道をしばらく進み、多賀中学校の下を回りこむ(こちらは一般道です)形で、もう一度国道306号線に出ます。
しばらく進み、林業組合の建物裏手から不自然な山の形となりますが、これこそ専用線の盛土跡です。
この写真は高宮方を向いています。


更に進みますと、国道を越えるために設けられた橋台が残っています。
彦根線にも同様のものが残っていますが、こちらは相当な高さがあり迫力が違います。
写真は大君が畑・三重県方を向いています。


少し解りにくいですが、国道を越えた後は住友セメントの構内となり広大なヤードが広がっていました。
今でも、架線柱などが乱立しており、往時を偲んでいます。

出口  住友セメント彦根線跡

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